ヒッチコックについて思うこと

映画、伝記、研究書をつらつらと読んだり見たりしていると、自分なりのヒッチ像ができてくる。

まず妻のアルマとの関係は非常に大きい。映画製作の全工程にかかわっている。登場人物としても出てくる。主人公を拘束するか、母性でゆるく包み込む眼鏡の女性が出てきたら、アルマではないかと疑ってしまう。映画の中では、結構ひどい扱いだが、脚本にがっつり関わっているので、アルマ自身も承諾したうえでの内容なのだろう。

母性の拘束がヒッチの映画全般にぬるーく感じるが、アルマとの関係もあるから、その印象はあまりシリアスにヒッチ自身のコンプレックスとはいいきれないような。そんなコンプレックスからの作家性すらも演じている気がする。だから、パブリックに対するヒッチコックの表情は、すごくウォーホールに似ていると思う。

40年代、50年代の白黒の一連の作品は、マテリアルとしての視覚とでも言おうか、シーンと密接につながったフィルムの質感が伝わってきて、絶品。骨董品を愛でるように堪能できる。夜の闇や煙の質感がたまらん。
『逃走経路』、『疑惑の影』、『見知らぬ乗客』、『私は告白する』あたり。

『マーニー』以降、黄金時代を支えたクルーが相次いで抜けて、なんだか、がさついた質感の映画になっていくが、『フレンジー』の突き抜けた間合いの表現や、『ファミリー・プロット』の日曜午後のTV映画劇場に似合いそうな雰囲気には、そんながさがさした質感がよく似合っている。

『めまい』は話の途中で、謎解きをしてしまい、全体を2部構成にした所が、全ヒッチコックの作品の中でも異質。全体を通して、おぼろげな入れ子構造が支配しているところなど、デビッド・リンチの傑作『マルホランド・ドライブ』に影響を与えること大。鏡像関係を執拗に語る『疑惑の影』『見知らぬ乗客』が鏡像の並行関係だとすると、『めまい』は鏡像を更に入れ子にして多次元構造にした所が素晴らしい。